僕は周りからは変わり者と言われていた
家族からも異端児だと言われていたから
どこか普通と違っていたのだろう。
今の時期は受験、受験でそう言う環境に居る人達は神経もピリピリしていたり
家族同士で気を使ったりしていたりするのでしょうね
僕は全くそんな環境では育って居ませんでした。
それでも時代の流れで「高校だけは行って欲しい」とは言われて居ましたが
そんな事はどこ吹く風の如く
全く受験と言う観念など微塵もありませんでした。
受験の為に教科書を開く事も無くノートを見る事も無く
「高校だけは‥‥」の言葉は多少心に引っかかるので
誰でも受かりそうな私立2校だけの受験なのでその日まで勉強する事も無く
遊んで居ました。
一つ目の高校は適当に分かる所だけテスト用紙に書き入れ
2つ目の高校は名前だけ書いて出すと言う技(笑)を使いました。
結果はどちらも合格
恐らく定員割れしていたのではないのかな?
一つ目は広島工業大学付属高等学校
二つ目は今の広島国際学院高等学校でした。
これで当時のこの2校のレベルの程度が分かると思います。
僕は中学時代の成績は後ろから数えた方が早い位置でした。
高校では三分の一の中に入るくらいの前の方でした。
名前だけ書いて出した高校にもし行っていたら成績は5本の指に入って居たかもね
中学時代僕より後方に居た友人はそこに行きましたが5本の指の中に
入れてびっくりしたそうです。
「わしより馬鹿がおるんで」と笑っていました。
工業高校の方は三分の一のあたりまでに位置して居たら
無試験で大学に行けると担任が言っていましたね
でも大学で落第する生徒は無試験組が多いとも言っていました。
僕はもう高校でうんざりでした。
何度も辞めると言っては母親を困らせたものです。
しかしまさか名前だけ書いて合格はあり得ないよねえ
落ちても良いつもりでとった行動でもあります。
受験の時、一つ目の高校なら広島駅を通過するので学校帰りに遊べる
二つ目はこんな辺鄙なところは嫌だなと感じたので
不合格目指して頑張ったのですそれが技(笑)と言う事です。
生まれ変われたらもう学校は行きたくありません。
出来る限り自由の中で自由に暮らしたいですね。
呼んでも誰も上がって来ないので墓所の反対側へ向かいました。
昨日は一昨日はトラミ、そして今日はチャミ
まだ捕獲されてないんだ。
ここから白髪のおじさん宅横の路地へ
まだかなり居ますが捕獲された猫も居るのでしょうね。
行くたびに居たり居なかったりする猫さんが居るので中々実態がつかみにくいです。
ここから石材店へと向かいました。
ここからはヘアピンカーブへ
そしてお堂跡横に車を停めてビリギャルの畑へ
ランランの住宅へ向かいました。
しばらく休憩してチビのエリアへと向かいました。
チビ達は出て来ませんでした。
あまり大きな声で呼べないし声の届く範囲に居ないと来ないですね。
猫さんは単独で行動する生き物とはありますが結構気の合う者同士は
共同生活しながら助けあっているようです。